ひとりの人を深く愛することには
大きな心理的なリスクが伴います。
信頼を裏切られることへの恐怖は、
誰しもが感じる深い感情ですよね。
場合によっては致死量に達するほどの
絶望を味わうことになるので
本来、人を愛することは命懸けです。
誠実な人はその恐怖心に覚悟を持ちますが
臆病者はその覚悟が持てないんですよね。
こういう人にとって深い愛や信頼は
恐怖と感じられる一方で
完全に孤立することも
避けたいというジレンマがあります。
そのためバックアップとの関係を持つことで
『誰かには繋がっていたいけど、
深くは入り込みたくない』というバランスを
取ろうとする傾向があります。
恋愛関係でも、友達関係でも同じです。
これは「入り込みたくない」って人もいるし、
「(入りたいけど)入り込めない」人もいます。
いつも誘われ待ちで、自分から誘わない人や
広く浅く友達はいるけど、
深い友達はいないような人です。
SNSなどの表面的な情報では
充実しているように見えますが
ぼくには孤独に見えて仕方ありません。
そういう人は、深く愛されることはないし
深く愛されても、その愛情を受け入れられる
器がないので、逆に、その愛を疑ってしまう
という悪循環を生むですよね。
人を信じれないって、病気なんですよ。
病院には来ていないけど
心が不健康な人はたくさん居ます。
赤ちゃんは人を疑うことをしません。
(この人のおっぱいには毒ないよね?)
とか、絶対に思わないよね(笑)
与えてくれるお菓子や飲み物も疑うことなく
口にしていきます。
でも、大人になって、傷つく経験をしてから
被害者意識を持つようになった人や
自己肯定感が極めて低い人、
そして、子供の頃から自己防衛として
嘘をついてきた人は心に病があるので
人を信じることができません。
自分が嘘をつく人だから、
他人のことも「嘘つく人」という初期設定で
無意識に見てしまっているんです。
浮気を疑う人も、ある種の病気です。
ぼくは信じることが簡単じゃないことも
信じることには勇気や覚悟が
必要なことも知ってるからこそ、
ぼくは信じてくれてる人だけは
絶対裏切れないし、絶対大切にしたい
って思っています。
それと同時に思うことは、
いつも愛に飢えている人って、
人を信じる勇気がない人だ
とも思っています。
他人と関係がうまくいっていない人は
自分との関係がうまくいっていないんです。
人に認められたいと思っているのに
誰よりも自分が自分を認めていないし、
他人に好かれたいと思っているのに
誰よりも自分が自分を嫌っているんです。
まずは、今の自分自身を
許容してあげてください。
『自分を愛する』とは
良いところを誇ることではなく
ダメなところを許してあげること。
今までの自分を完全に
捨てることからしか成長しません。
人生が好転し始めるときって
「完璧な自分」になれた時じゃなくて
「完璧ではない自分」を
受け入れられた時ですよ。
そして、
信じてほしいなら、信じること。
愛されたいなら、愛すこと。
「自分から」人生を動かそうね。
END