
3月になりましたね。
サラリーマンをやめて独立してから
ぼくは毎月1日は何も予定を
入れないようにしています。
「何も予定を入れない」ってことは
ぼくにとって、かなり重要です。
毎月1日は、特に、自分と向き合う日です。
毎月1日はジャーナル強化日です。
ひとり時間のクオリティが
その人の品格です。
ぼくの今年のテーマは3つあります。
●慈悲の心
他者の苦しみを理解し、
それを取り除いてあげたいと願う心。
慈(じ)
他者に「幸せになってほしい」と願う心。
悲(ひ)
他者の「苦しみを取り除きたい」と思う心。
●審美眼
〝本物を自分のスタンダードに〟
●心眼
見えないのを見ようとする。
相手の心根を見る。
相手の想いを知る。
その中の1つ「慈悲の心」は
お釈迦さまも説いています。
「慈悲」という言葉はサンスクリット語の
「マイトリー(maitril =慈」と
「カルナ(karuNaa)=悲」
という2つの言葉によって
構成されているそうです。
マイトリーは「友情」という意味
だとされていますが、ぼくたちが日常的に
使っている友情とは少し意味が違います。
これは、特定の人に対してではなく、
すべての人々に平等に友情を示すことを
意味する言葉のようです。
そしてカルナは、直訳すると
「人生の苦に対する呻き」です。
これがなぜ非訳されたのかというと、
自らの苦しみを知るとき、
人は他者の苦を知ることがでそして、
他者と同じ苦を味わうとき、
その人の思いは、他者の苦を癒さずには
いられない救済の思いとなって働く
という意味が込められているからです。
万人に対する平等な友情、
そして、同じ苦を味わうことによって
生まれる相手を思い。
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こうした意味を持つ「慈悲」
というお釈迦さまの教えが、
何を意味しているのか。。。
「慈悲」の本質は「共感」ではないかと、
今のぼくは考えています。
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この「慈悲の心」をテーマにして
「慈悲の心」についてすごく考えるようになって
昔からずっと不思議だったけど、やっと、
最近わかったことがあります。
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多くの人は・・・
なんで、だれかが落ち込んでいる
ってことがわかっているのに
声をかけないんだろう?
なんで、輪に入れていない人がいる
ってことがわかっているのに
声をかけないんだろう?
なんで、今すごく辛い想いをしている
ってことがわかっているのに
声をかけないんだろう?
なんで、孤独を感じているってことが
わかっているのに声をかけないんだろう?
ってことが、ぼくは、
ずーーーっと不思議でした。。。
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世の中『いい人』なんてほとんど居なくて
『いい人〝風〟』な人ばかりだと思いました。
っていうか、『冷たい人』だと思っていました。
だって、辛くて苦しんでいる人がいるのに
声をかけないんだから。
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でも、「慈悲の心」を勉強し始めてから
「声をかけないんじゃなくて、
声をかけれないんだ」
ってことに気付きました。
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要は、共感できないから。
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今、振り返れば、全部、繋がります。
ぼくは学生時代、生徒会長をやってたいし
野球部ではキャプテンでした。
だから、人よりも孤独が苦労を10代から
経験させてもらって、当時は、
「支えになってくれる人はいないのか」
ずっと孤独感と隣合わせでした。
たまに、キャプテンや生徒会長は
「みんなの人気者」とか「仲間に囲まれている」
ってことを言われますが、当事者は、
真逆の想いをずっと抱えているんだよね。
学生時代も、大人になってからも
「なんでみんな助けてくれないんだ」
「オレをわかってくれる人はいない」
「なんで声をかけてくれないんだ」
って思っていたけど…
共感できないからなんだ・・・
って気づきました。
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お釈迦さまが言われるように・・・
自らの苦しみを知るとき、
人は他者の苦を知ることがでそして、
他者と同じ苦を味わうとき、
その人の思いは、他者の苦を癒さずには
いられない救済の思いとなって働く
ならば、声をかけるもん。
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ぼくは、どんな相談も乗りますが、
なんて声をかけたらいいか
未だにわからないことがあります。
「死産した人」です。
※流産や人工妊娠中絶も含む
若いときは人を亡くして悲しむ人にも
なんて声をかければいいか
わかりませんでした。
経験がなかったから。
共感できないから。
でも、歳を重ねてぼくも身近な人の死を
経験して、どんな悲しみが出てくるのか
実体験でわかるから、少しは、
寄り添ってあげられるようになりました。
でも、我が子を失う経験はないので、
共感ができません。
だから、いまだに、我が子を産む
夢の手前でそれが途絶えた人を
励ます言葉が見つかりません。
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ぼく自身も、だれかに声をかけて
あげられない時はその人の気持ちが
わからない時かもしれません。
先日、格上の人とお茶させていただいた時に、
生い立ちを根掘り葉掘り、聞かせて頂きました。
でも、その時に、「辛かった」ことは
わかるけど、「どれだけ辛かったか」が
ぼくのレベルではわかりませんでした。
苦労や挫折も聞きましたが・・・
格上の人の領域は共感できない
ってことに気付きました。
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ぼくは、「満たされたい」「癒されたい」
とか他力本願な気持ちはありません。
それって、他者依存だと思うし。
「満たしてあげたい」「癒してあげたい」
っていう気持ちもありません。
支配や自己満だと思うから。
「満たしてほしい」も「満たされたい」も
方向が逆なだけで、どっちも、
自分の欠けを相手で処理しているだけ。
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ぼくは「満たし合える人」でありたいです。
だから、どんな人でも共感できるように、
たくさんチャレンジして
もっと失敗を経験して
心が傷つく道を率先して進みたいです。
その傷と引き換えでしか『やさしい心』を
手に入れられないから。
今年残り306日!
よーし、今日も寝るまで努力するぜ!
よっしゃー(^O^)/
END










