『あの〜、できることもやらずに、
自分の可能性を決めつけ、
「あの人だから」「あの人は天才だから」
という言葉で片付けるのは辞めませんか?』
というお話をします。
元卓球選手の福原愛さんは
ずっと「天才少女」と周りから
言われていたそうです。
でも、福原愛さんは現役のとき、
ある時の会見で
「私、天才じゃないもん。
みんなよりも練習してるもん。」
って言っていました。
この映像見てください。(1分7秒あたりから)
お母さんとの猛特訓では
「やめてもらっていいよ!」
「愛ちゃん甘えないで」
という言葉に対し
「やめないで!」
「もっとやって!」
と返しています。
福原愛さんが「天才少女」と
呼ばれるようになったのは
本当に天才だったからでしょうか?
元々、才能や環境に
恵まれていたからでしょうか?
僕は幼い頃から猛特訓をしていた
努力の賜物だと思います。
この映像を見ても、
天才って言うんだとしたら
その人は何かに一生懸命に
なったことがない人だと思います。
天才だと思うその人も、見えないところで、
血の滲むような努力をしています。
その過程を無視して「天才」と呼ぶのは
その人に失礼だと思います。
人は表面的な華やかな部分だけに注目して、
その人のようになりたいと思ってしまいます。
でも、結果が出るまでに積み上げてきた
努力にはあまり目を向ける人がいません。
すごい人を見て、
「才能だな!」という人は諦めています。
「努力だな!」という人は挑戦しています。
この映像を観たとき、
みなさんはどう思いましたか?
僕は悔しくて泣きました。
何かに一生懸命なら悔しくて泣きますよ。
最近、いつ悔し泣きしましたか?
最近、悔し泣きしていない人は
いつから泣かないような生き方を
始めたんでしょうか?
人生なんて十人十色だから
それぞれの価値観があるので、
悔し泣きがいいとか、
悪いとかじゃないけど
僕は感動が多い人生を生きたいから
悔し泣きもたくさん経験していきたいです。
そして、仕事で嬉し泣きすることが
今、僕の目標の1つです。
END