アニメ映画『鬼滅の刃』を観てきました。
『鬼滅の刃』は280億円に達し、
国内歴代興収ランキング3位にランクインし、
これまで3位だったハリウッド映画
『タイタニック』(1997年/277.7億円)を
追い抜いたということで、
平日のド昼だったけど、昨日も満席でした。
僕自身アニメをあまり観るタイプではないですが
これだけブームになる魅力はなにか?
ってことに興味があったので、観ました。
自分なりに考察してみたので
ご一読いただければ幸いです。
その人の背景を知る
『鬼滅の刃』ってスポットの当て方によって
誰に、どこに、感情移入するのかが
すごく変わるんですよね。
やっぱり、鬼だから悪い、人間だから良い、
という単純な話ではなく・・・
その人のバックボーンが”今”を
作り上げていることを考えると、
結局、鬼を生み出すのって、
人間自身なんだと思いました。
ぼくはそれを、猗窩座の物語を観て、
改めて、すごく感じたし、同時に、
人が持つ想いの強さも痛感したんです。
『鬼滅の刃』を観た人は共感してもらえる
と思いますが、観終わった後って、
なんか優しい気持ちになっているんですよね。
その人の過去を知ると、
肩に手を置いてあげたくなる時があります。
ま、ぼくの大好きな煉獄さんを殺した
鬼だから、やっぱり許せないけど(笑)
また猗窩座に限って言うと、彼は最後、
自らの手で終わりを迎えるわけなのですが、
その理由は炭治郎にも義勇にもわからないまま。
ここは作品を観た人の想像力と解釈なのかな。
多分、自暴自棄になっていた狛治を
やり直させるきっかけとなった師匠の拳と、
それを思い出させた炭治郎の拳・・・
これがリンクしたのはあると思います。
猗窩座の理想の自分像って、本当は、
炭治郎みたいな人だったんじゃないかな?
って、思いました。
でも、その理想と、現実の自分を
比較したときに、猜疑心(さいぎしん)が
生まれたけど、大義を生きる炭治郎が
眩しすぎて、自分が惨めに思えて、
心の部分で完敗したことを
認めたから自殺したんじゃないかな?
と思いました。
人間と鬼は表裏一体
猗窩座の人間時代って、本当に悲しくて、
酷い出来事の連続だったと思うんですけど、
おそらく鬼殺隊のメンバーの中にも、
同じような境遇にいた人はいると思います。
大事な人を失うとか、
悲劇的な事件に巻き込まれるとか。
そういう、同じような境遇にあっても、
一方は鬼殺隊になり、
一方は鬼になってしまう…
いつ、どこで、何と出会うかによって
道が分かれてしまう状況を見ると、
人間と鬼って表裏一体な関係にあるんだな
と思いました。
人生って、ホント、誰と出会うか。
全面的に人を信用する人に出会うと、
人は衝撃を受けます。
この人にだったら裏切られてもいい
って思える人に会ったら人生が変わります。
自分の可能性を人生で1番
信じてくれた人に出会ったときに
本当の意味で人は覚醒するし、
自分が落ち目のときに、
人たらしのお節介な善人がそばにいるか
これがものすごく重要だと思います。
子供や若者に「自分の人生を考えなさい」とか
「人に優しくしなさい」とか言うんじゃなくて、
「「中村隆斗」という男と出会った?
え!?まだなの??
彼と出会うと自分はどんな生き方をしたいのか、
心で感じて真剣に考えるようになるよ」
って、言ってもらえるような生き方を、
ぼくはしたいです。
もっと、みんな感情をむき出しにしていい
猗窩座を倒すことがメインに描かれた映画ですが
同時進行で我妻善逸や胡蝶しのぶの戦い、
そして他の隊士が必死に抗っているところも
しっかりと描かれています。
それくらい、『鬼滅の刃』はキャラクター
個々の魅力が際立っているんですね。
どのキャラも、感情をむき出しにします。
敵側も含めて、ここまで感情をあらわにする
作品って、ぼくはあまり知らないです。
だからこそ観る者を惹きつけるんだと思います。
怒れない人って、守りたいものがない人
だなと思うんですよね。
怒りには2種類あると思っています。
1つ目は
「自分が不当に扱われていることに対する怒り」
これは絶対に爆発させない方がいいです。
落ち着いて、深呼吸するべき。
で、2つ目は、
「他人が不当に扱われていることに対する怒り」
こっちの怒りは、爆発させないと、
人としてダメになっちゃいます。
たとえば、弱者が不当な扱いを受けていたり
間違ったことを目にして、
それに怒れないような人と
付き合っちゃダメですよ。
一見、「あまり怒らない人」って、
おおらかで温かい人に見えますが
怒りという感情は守りたい何かや
譲れない正義感や倫理観で
湧き出る感情だったりもするわけです。
つまり、
怒りという感情が薄い人は
愛の総量が少ない人
なんだろうなって僕は思います。
怒りだけに限らず・・・
悔しいとき、
悲しいとき、
辛いとき、
ちゃんと顔に、態度に、
出していいと思うんだよね。
素直に感情を表情で表現していい。
あなたが感情を出してあげないと
周りの人は気づかないから
抱きしめてあげられない!
いつも、いつも、笑顔が
『いい顔』じゃないんだよね。
心と顔が一致している顔が
『いい顔』なんだと思います。
そういう人の笑顔の理由に
人はなりたいもんじゃないですか。
鬼滅の刃の確固としたテーマ
鬼舞辻無惨という鬼のボスに人間が千年も
挑み続けているという物語の中に確固とした
”誰かを守る”というテーマがあります。
”守る”ということの本質を、
教えてくれる作品ですね。
今の日本の男は「国のために!」といった
生涯を貫く意志がまったくないから、
何を基準にして生きていっていいかわからず
フラフラしている人が多く感じます。
そうすると、人は他から与えられる情報に
興味を抱き、そこに「生きがい」を
見いだそうとします・・・
でも、他人のために役立つ喜びの中に
人として生きがいがあるんだと思います。
今回は煉獄さんは出てこないけど、
「無限列車編」で炎柱になるまでの生い立ちや
家族からの期待が彼の「心の礎」に
なっていることが分かってくると、
だんだんと共感の念が芽生えてきましたよね。
決して、煉獄さんが強いから
惚れたんじゃないですよね。
鬼殺隊から学ぶべきことは
「人としての誇りと信念をもって
使命をまっとうする生き様」です。
ラジオでも「誇り高い生き方」について
鬼滅の刃の話を交えて話しているので、
ぜひ、聞いてみてください。
今回の映画では
大義や志のために苦難を乗り越えていく
生き方を貫く炭治郎に感服しました。
END