「勉強しなさい!」と先生や親に言われるけど
具体的な勉強方法を教えている大人をあまり
見たことがありません。
「考えなさい」とは言われるけど、
考える方法を教えている人もいません。
「来週テストするから覚えてきてね」
と言われても、覚え方を教えている
大人はあまり見たことがありません。
ボクたちは勉強の仕方や考え方、覚え方など
教えてきてもらっていないんですよね。
チームビルディングやマネジメントで
悩む管理職やリーダーの人も
「考えなさい」と言っても
「考え方」を教えなかったら
いつまで経っても、
考えるようになりませんし、
臨機応変に動く!なんて
夢のまた夢となってしまいます。
で、そもそも「考える」とは
どういうことか、まず記述します。
「考える」とは
「自分の言葉で語れること(What)」
「疑問に思うこと(Why)」
「手段や方法を思いつくこと(How)」
このいずれかのことをしているときに、
「考えている」という状態になります。
通常の教育では、「これは何?」「どこ?」
「いつ?」「どっち?」が多く、こういう、
インプットばかりのアプローチでは、
考えるという行為は起こりにくいんですよね。
でも、次の3つのアプローチを使うと
「考える」が始まります。
①「自分の言葉で語れること(What)」
「自分の言葉で言うとどうなる?」
「要するにこれはどういうこと?」
と聞き、“自分の言葉で”語るようにすると
頭が動き始めて「考える」が始まります。
②「疑問に思うこと(Why)」
「なぜそうなの?」「なぜだと思う?」
「どうしてこうなんだろうね〜」
と問われると人は考えます。
たとえば、「あなたの家はどこですか」
と聞かれると、頭に入っている知識を
アウトプットすればいいですね。
このときは考えていません。反射です。
でも「なぜ、そこに住もうと思ったの?」
と聞かれると「あれ、どうしてだったかな」
と考え始めますよね。
これが考えるということです。
③「手段や方法を思いつくこと(How)」
「どうしたらいいと思う?」
「どのように感じた?」など英語で言う
Howに関係する質問をすると考え出します。
これも単に知識を問いているわけではなく、
考えないと出てこない質問です。
これら3つのアプローチは、
勉強での応用力のみならず、実は、
社会人となって求められる重要な要素です。
だから、ボクは毎週1回、友達と一緒に、
「考える練習」と「自分の言葉で話す練習」が
できる環境を作っています。
「what why how」は、
いずれも社会で必要な視点です。
「課題は何か?(What)」
「なぜそうなのか?(Why)」
「ではどうすればいいのか?(How)」
という3つの視点がないと
個人も企業は進化発展できません。
考えることを放棄した人は
他人に管理されて
雇われるしかありません。
で・・・
同じ授業を受けているのに、
同じ話を聞いているのに、
同じセミナーを受けているのに、
差がついてしまう理由って
何だと思いますか。
結論から言いますね。
「できる人は勉強時間以外も学んでいる」
ということです。
彼らは四六時中「学んで」いるのです。
だから、表面的な授業時間や
セミナーで差がついているのではないんです。
人と話をするときも、
テレビを見ているときも、
街を歩いているときも、
感じ、考え、自分の意見を持つ
習慣を持っています。
それによって教養が深まり、
考える力が深まり、記述力といった
自己表現力もつきます。
たとえば、家の近くを歩いている時も、
普通は大きな変化がないと何も気づきません。
でも、3つのアプローチを習慣化している人は
多くの気づきを得て、そこから考えたりします。
だから得られている情報量が
大多数の人とはまったく異なります。
一度、習慣化されている人と
一緒に旅行に出かけてみるとわかりますよ。
経験から得られる知識量に雲泥の差が
ついていることに衝撃を受けると思います。
では、どうすれば、3つのアプローチが
習慣化されるのか・・・
そのためには〝ある3つのこと〟を
知る必要があるのですが・・・
もうここまでも十分、有料級の内容を
書いているので、また気が向いたら
書きますね。
とにかく・・・
人生の目的って誰もが、
「幸せになること」一択なはず。
にもかかわらず、自分がどんな時に、
幸せを感じるかすら、語れない人が
あまりに多いことがすごく不思議です。
こんな時がハッピー!
こんな人といるとハッピー!って、
ちゃんと言葉にできますか?
そういうことをちゃんと
自分の言葉で語れることが
自分の人生を生きるってことです。
でも、自分がどうしたいかより
人にどう見られたいかが
強くなっちゃっている人には、
自分の言葉は出てきません。
他人に理解を求める時点で
自分らしい生き方じゃないし、
自分のビジョンを自分の言葉で
堂々と語れない人が他人に
感動を与えることはできませんよ。
END