
ぶっちゃけ、今は、
とても生きづらい時代です。
何を信じて、どう生きればいいのか
分からないから先が見えません。
一生懸命に学び、一生懸命に働き、
それでも心が追いついておらず
迷子の人がたくさんいます。
子どもたちの自殺は減らず、
社会人でもうつ病の人が大勢います。
「頑張れ」という言葉が、
もはや人を追い詰める時代です。
情報は、もう十分すぎるほどあるのに
不安が取れない人がいっぱい居ます。
なぜでしょうか?
・いい学校に入ること
・いい会社に入ること
・お金を稼ぐこと
これらが幸せになれることだと
本気で思っていた時代があります。
今でも、そうだと勘違いしている人がいます。
「自分は何者なのか」
「どう生きると心が折れないのか」
「自分の命を、何に使えばいいのか」
こんなこと、学校では教えてくれないし、
大人でも、この問題解決ができていない
人だらけです。
だから
「好きなことがわからない」
「やりたいことがない」
「過剰なまでの承認欲求」
「自信がない」
こんな人たちが世の中に溢れています。
表向きは平気な顔をしていても、
無力感と羞恥心は消化されないまま
心のなかに残り続けている人ばかりです。
今の世の中は、本当に危険だと思う。
ぼくは危機感を持っています。
それはなぜか?
自間と探求をするよりも、与えられた役割が
世間で、どのように考えられているかを
学び、それを実践することが
重要になってしまっているからです・・・
つまり、
社会が求める人間像に自分を合わせることが、
美しい人生だと考えている人が多いんです。
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・
だから、多くの人は独自の人生感や哲学をもとに
生きるよりも、社会や親が求める基準に合わせて
生きることに慣れてしまっているんですよね。
だけど、その結果、多くの人が自分の信念や
哲学どころか、自分の本当の姿すら描けないまま、
偽りの自分を生きることになっています。
今から2600年前、この問題に気づき、
人々に警鐘を鳴らした人がいます。
2600年前、すでに答えは示されていました。
ぼくは、その答えの本質を捉えられているな
と思えるのは、ぼくの今年のテーマです。
「慈悲の心」「審美眼」「心眼」
これって、本当に今の自分、
今の時代にフィットしていると思う。
一時的なブームとか、
一時的な応急処置ではなく、
「どう生きるか」を本気で問う人たちが
超希少になってきました。
子供や若者に「自分の人生を考えなさい」とか
「人に優しくしなさい」とか言うんじゃなくて、
「「中村隆斗」という男と出会った?
え!?まだなの??
彼と出会うと自分はどんな生き方をしたいのか、
心で感じて真剣に考えるようになるよ」
って、言ってもらえるような生き方をしたい、
と思って、毎日、必死に生きています。
ぼくと関わり続けたら、
「愛とは何か?」わかると思います。
「人を大切にするとはどういうことか?」
肌で感じられると思います。
ぼくがそうなれたのも、出会い。
迷子にならずに、
目指す方向がバッチリなのも出会い。
自分軸が明確なのも出会い。
ある日、なぜ「素敵」という言葉は
褒め言葉なのに「敵」という漢字が
入るのか気になったことがあります。
「素晴らしすぎて、敵わない」
という感嘆の気持ちから生まれた
略字なのだそうです。
そんなボクに素晴らしすぎて敵わない、
素敵な人との出会いがありました。
今、もし生まれ変わっても、
この人に会いたいなって思える人が
6人います。
その人たちに共通していることは
「達観していること」
「忠義を尽くすこと」
ぼくも、そんな生き方を実践したいです。
誰かを幸せにしたいとか
そんなことは全く思っていません。
できるとも思っていません。
でも、誰かの何かの小さな
きっかけくらいにはなれるような
歳の取り方をしたいっていつも思います。
これからも、誰かの軌跡に小さな点を
つけられるように成長します!
END










