普段、会話している中で、
こんな言葉をよく言ったり、
聞いたりすることがあると思います。
「また今度、(実家に)帰るわ」
「また今度、(地方の友達へ)会いに行くわ」
「また今度、飲みに行こう」
「また今度、カフェ行こう」…etc
何気なく口にする「また今度」
多くの人はこの言葉を、まるで、
無限に時間があるかのように使っています。
でも、その「また今度」は
本当に来るのかな・・・?
ある数学者が「人生の残り時間」を
計算したところ、衝撃的な結果が
算出されました。
たとえば、お子さんがいる人なら
幼い子どもが「公園に行こう!」
と手を引っ張る瞬間。
小学生になれば、
もう手をつなごうとはしなくなります。
その時が訪れるまで、あと5年だとしたら
週に1回だとしても、残り260回。
たった260回しか、その小さな手を
握る機会は残されていないってことです。
両親から「今度、家に来ない?」と
電話がかかってくる瞬間。
両親の年齢が50歳だと仮定し、
その両親が80歳まで生きたとして、
仮に年に2回会っても、
残り30年×2回=60回。
たった60回しか、両親と会う機会が
残されていないんですよね・・・
親友から「今度、ごはん行こう」
とメッセージが届く瞬間。
30歳の人が、80歳まで生きられたとして、
3ヶ月に1回会っても、
残り50年×4回=200回。
たった200回しかない貴重な機会を、
本当に「また今度」で済ませていいのかな?
だって、この計算は最も楽観的な場合だもんね。
ぼくらには、本来、この回数すら
保証されていないはずです。
「また今度」という言葉の裏に隠された現実。
自分が思っている「時間」より、
ずっと少ないですよね。
ぼくは東日本大震災で友人と
連絡がつかない経験をし、
ボランティアで東北にも3度行って
言葉を失う光景を目の当たりにし、
人生観がガラリと変わりました。
いつ死ぬかわからへんな・・・
という気持ちが、心にありました。
やりたいことは先延ばしにしなくなり、
「また今度ね」って言わなくなりました。
あの世に持っていけないものを
貯めることに価値を見出せなくなりました。
生まれたってことは余命があるってこと。
思い立ったが吉日です。
2001年アメリカの同時テロの時に、
有名になった詩が最高です。
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは
あなたを抱きしめて
キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを
聞くのが最後だとわかっていたら
わたしは
その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたなら
一言だけでもいい・・・
「あなたを愛してる」と わたしは伝えただろう
ほとんどいません。
明日もあると思っているし、忙しいから、
「また今度」
やりたいこと、やりましょうね。
伝えたいこと、伝えましょうね。
会いたい人に、会いましょうね。
行きたいとこ、行きましょうね。
ちゃんと、「ありがとう」伝えようね。
ちゃんと、「ごめんね」伝えようね。
仕事ばかりするの、やめようね。
勉強できる幸せ、噛み締めようね。
やって後悔することはありませんから。
明日が当たり前にくると思っている人は
いつも迷って先延ばしにします。
でも、人生が1回しかないと
わかっている人は迷いがありません。
自分の未来は今日、創られる!!
『
ぼくの大好きな本です。
よかったら、読んでみてください。