自分を変化させたいと思えば、
どうしても今まで目をつむっていたことや
自分が逃げてきたことと向き合っていく
必要があったりします。
多くの人はハッキリ言われることに
慣れていないから、ハッキリ言ったけど
キツく言ったわけではないのに
キツく言われたねじ曲がって受け取ります。
そして、人は傷付くと「傷ついた」という、
気持ちばかりが残って被害者意識で
見てしまうから、そのモードになった人は
もう会話ができないんですよね。
人は人から傷つけられるのではなく
人は自分でしか自分を傷つけられません。
自分が自分のことを「愛されている」
「価値がある」と感じている人は
人から傷つけられないし、
人を傷つけたりしません。
でも、自分が自分のことを
「愛されていない」「価値がない」と
感じていると自分に冷たくしたり
ズバッと言う人を見ると怖くなって
傷つけられたと感じて、
自分や相手を傷つけようとします。
それに気づかない限り
ずっと相手は悪人になっちゃいます。
そして、コミュニケーションのトラブルで
よくあるのが「その言い方に腹が立った」です。
そして、
「私はその言い方に腹が立った」
と「意見」を伝えようとします。
「私は~」で始まるのだから、
Iメッセージだし、それが
「本音」だと思っているからです。
でも、残念ながら
それは「本音」ではありません。
「建て前」「コーティング」
「本音のカモフラージュ」です。
「その言い方に腹が立った」の裏に、
本音が「隠れて」いるものです。
要するに
「何故そこに腹が立ったのか」
「ホントはどうしてほしいのか」
それが本当の本音です。
・もっと優しくしてほしかった
・もっと私を大事にしてほしかった
でも、カッコ悪くて、
照れくさくて言えない人がほとんどです。
さて、「本音」とは何でしょうか?
「本当に望んでいること」ですね。
実は、人はこの、
「本当に望んでいること」は
あまり言いません。
「本当に望んでいること」は
とても弱くてカッコ悪いことが
多いからです。
そして「本当に望んでいること」が
叶えられないときに
人は悲しみや怒りを感じます。
そして、人はこの「悲しみや怒り」を
「本音」だと思っています。
これを言えなかったから
「その言い方はおかしい」
「こうすべきでしょ」と
本音をコーティングして
自分の言いたいことだけ言います。
納得いってない態度で話を終わる人や
「~だと思っただけ」みたいな
自分が言いたいことだけ言って
会話を続ける気がない人はズルい人。
被害者意識がある人は他人の時間を
奪うことに対して何も思っていません。
ある心理カウンセラーは
これを「理論武装」と言っています。
「武装」しているぐらいですから
戦闘モードなんですよね・・・
(当然これも、本人は無自覚)
この背景にある深層意識は「悪気はない」です。
悪気がなかったらセーフなんじゃなくて、
それを言うと相手がどう思うか?という
想像力や配慮の欠如がアウトなんです。
相手から見た自分を考える「客観視」が
足りていないことは相手に不誠実な人という
レッテルを張られかねません。
あと、「〇〇だと思っていました」
っていうパターンも。
主観はビックリするくらい自分に都合のいい
解釈しかしないから主観だけで
行動してしまう人は自分の欲望に
抗(あらが)えない人なんです。
そんな主観の暴走を食い止めるために
客観視があるのであって主観よりも
客観を優先するのが誠実な人なんですよね。
本当に賢い人は余計なことを言いません。
でも、自分で感情を処理できない人は
八つ当たりをしてしまいます。
(もちろん、本人に自覚なし)
「何を話すか」が知性で
「何を話さないか」が品性
という言葉がありますが、
本当にその通りだと思います。
・
・
嫌な感情の背後には必ず
自分の常識や思い込みが隠れています。
嫌な感情が出てきたら
それは自分の思い込みや
価値観に気づくチャンスなんです。
教えてくれる感情です。
悪感情だって自分を知り得る教科書。
・
その教科書は人にぶつけるのではなく
自分のために読み解いてみてください。
・
・
あと、戦闘モードだけならいいですが、
防御モードに入って閉じこもる
二刀流もいるので、会話レベルや、
コミュ力が低いっていうのはいいですが
自分が理解できないことを
理解しようとする姿勢がない人は
もうどうすることもできません。
被害者意識がある人は自己防衛を
始めるので正されることを嫌います。
そして、同時に、
その人の悪いところを探し始めます。
「言われた(攻撃された)」と
受け取った方が自分にとって
都合がいいからです。
ある人は不貞腐れたまま終わり
ある人は「ごめん」と言って
その場しのぎをしますが
ある人は「ごめん」と言って
その後の行動を改善します。
この違いをよく観ておいてください。
後日、謝ってこない人は
納得いってない証明ですよね。
※書くと長くなるので、書きませんが、
この「謝る」にもレベルがあります。
自分のことが好きじゃない人って、
高確率で「認めない」「謝らない」人です。
このブログでも何回も書いていますが、
「ごめんね」の数とその人の人脈は
絶対に比例していますよ。
だから、被害者意識がある人や
頑固な人は静かに人から離れられています。
・
・
日々の生活の中で自分を恥ずかしく
感じることもあると思います。
ただ、恥ずかしいと感じることができる人は
まだ、救いがあるでしょう。
反省し、次から気をつけることができます。
でも、悪いことをしたな、申し訳ないな、
恥ずかしいなと思っていない人や、
思っていても同じことを繰り返してしまう人は
つまり思っていな
未熟なのはいいんですよ。
完璧な人なんて誰もいませんから。
でも、真摯さがないのはダメです。
あのね・・・
「ありがとう」と「ごめんね」が
ちゃんと言えない人って、
その「言わなかった自分」に一生後悔しますよ。
恋愛で例えるとわかりやすいですが、
別れるときにきちんと感謝が伝えれば
時間がかかってもしっかり前に進めますが
言わずに別れて連絡が取れなくなってしまうと
「言わなかった自分」がキレイな自分に
戻りたくても戻れないんです。
次にステキな人と出会っても、結婚して、
家庭を築いて幸せそうに見えても、
それは表面的で一生満たされないなにか
シコリのようなものを死ぬまで抱えて
生きていかないといけません。
”恩には鈍感で、恨みには敏感”みたいな
生き方をしても一生幸せになりませんよ。
ちょっとした勘違いや
揉め事で喧嘩し、疎遠になってしまって
「相手が許せない」っていつまでも
意地を張っている人もいますが…
きっと許せないのは、相手ではなく
「素直に謝れなかった自分」
「ごめんね」って言えない人は
信用できない。他人もだけど、
自分が自分のことも、きっと。
END