人を怒らせてしまったとき、
だれかが思わぬ形で、
自分に怒りを抱いていると知ったとき、
激しく動揺してしまいますよね。
ぼく自身は中高で、野球の監督コーチが
厳しく怖かったので、そういう状態を
何度か経験しましたが、イヤでした。
また、高校時代、生徒会長をしていたんですが、
ある時、生徒会長として、未熟なところを
厳しくご指導いただいた時に、
「申し訳ございません」と謝ったんですが
その時に言われた言葉がありました。
「一番わかっていると思ってた人が
全くわかっていない!!!」
生徒会長は校長先生からの指名だったので
余計に悲しかったんだと思います。
で、その時は、「申し訳ございません」
と謝罪してから、なぜか、さらに校長先生が
怒っているように見えました。
いや、今振り返っても、あれは、
完全にご立腹の様子でした。
今なら、その理由がわかります。
「自分のエゴのために謝っていたから」です。
嫌われたくない。
誤解を解きたい。
敵をつくりたくない。
自分が悪い人間だと思われたくない。
変な噂を広げられたくない。
多分、ぼくはそんなことを考えて、
無意識にその状況を回避するために
とりあえず、謝ったんだと思います。
自分に非がある時は、きちんと目を見て謝る。
言い訳せずに、認める。
相手の信頼を取り返す誠意を行動で示す。
ってことを・・・
「一番わかっていると思ってた人が
全くわかっていない!!!」
って、叱られたんだと、
大人になってわかりました。
それを10代で叱ってもらえたことは
ぼくにとって大きな財産です。
当時は、この状況を知る、他の先生が、
寄り添ってくれて、「たかと、
校長は何に腹を立てているかわかるか?」
と、冷静に整理していただきました。
そして、ぼくが取った行動は、
ご自宅まで謝りに行くということでした。
でも、社会人になってもいますよね。
相手の心を癒すためではなく、
自分が許されたいがために謝る人。
っていうか、9割以上がそうだと思います。
だから、相手の心を癒すためでなく
自分のために謝る人の、謝り方って、
LINEか手紙なんですよね。
でも、ぼく自身の経験上、
恩師や先輩、クライアントにおいても
迅速かつ誠実に謝罪の気持ちを会って
伝えて許してもらえなかったことは
一度もありませんでした。
一方、失敗も数多くありましたが、
その多くは、メールや電話で謝罪を
済ませようとしたケースでした。
自分がどれだけ申し訳なく思っているかは、
相手に伝わらない以上、関係ないし、
意味ないってことなんですよね。
ぼくは、一緒に仕事をするメンバーに
「すみません」や「以後気をつけます」
という言葉や「土下座」や「汗」の絵文字も
安易に使うな!と言っています。
日ごろから謝ってばかりいる人は、
謝罪の意思が軽くなります。
簡単に謝れないと思えば、
相手を怒らせないように、
もっと考えるようになります。
そして、安易に謝らない人が本気で謝ったとき
相手から本当の信頼を得ることができます。
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すぐに謝る人は、反省も少ない。
・
・
あと、「すみません」って謝る人は
100%と言っていいほど、反省していません。
「すみません」という言葉のなかには、
重さも、誠意もありません。
(このマイナスな状態から早く逃れたい)
という利己的な感情だけがそこにあります。
相手に誠意を見せた謝罪ができていますか?
自分が許されたいがために
とりあえず、謝っていませんか?
謝り方に人格ってすごく出ます。
してしまった過去は変えられません。
でも、
謝れなかった自分と謝れた自分
どっちと付き合っていくかは
自分で選ぶことができます。
常に正直で、誠実でしっかりと
謝れる大人でありたいですね。
人だから間違うこともあります。
でも、それは、
恥ずかしいことではないですね。
失敗すれば、間違えれば、自ら認め謝る。
謝ることは
恥ずかしいことではないです。
謝らないことが恥ずかしいですね。
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・
かっこいい大人って、謝れる人。
謝るって、かっこいい!
ミスをした時に人のせいにするのか
泣きながらでも謝るのか、
絶対後者の方がかっこいいですね。
もし、その場で謝れなかったら、
遡(さかのぼ)ってでも、
「あの時はごめんね」って言える人は
信用ができる人。
時効だと思って接してくる人、
ちゃんと「ごめんね」が言えない人は
簡単に信用しちゃダメです。
ちなみに、
「それは悪かったと思っている」は
その人の感想であって、謝罪ではありません。
「申し訳ないと思っている」も
謝罪ではありません。
謝る準備段階って感じ。
ちなみに、完璧な謝罪には
6つの要素が必要です。
これを理解している人は
相手が怒ろうが、クレームを起こそうが、
全く動揺しなくなりますよ。
END