SNSを見ていると
SNSをやるためにSNSをやっている人と
自信の気づきや学びをSNSに記録したり
発信している人がいます。
もちろん、SNSだから自由だし、
どちらがいいか、なんてありません。
でも、前者の人は簡単につながれる
時代だからこそ、たくさんの「いいね」がないと
少し不安になる人もいるのかもしれません。
ただ、こんな時もありませんか?
100を超える「いいね」より、
たった1人の「いいね」が欲しい時がある、
たった1人に頷いてもらいたい時がある、と。
なんか、うまく言えないんですが・・・
人には〝領域〟があると思っていて
ある領域に達した人にしか
わからない言葉とか
シェアできない言葉ってあると思うんです。
その領域に達していない人でも
その言葉は聞こえてはいます。
でも、理解できないんです。
だから、逆に言うと、
みんなとはシェアできない言葉があるんです。
たとえば、オリンピック金メダリスト。
種目は違えど、競技を超えて仲良しな
選手って、その人たちにしかわからない
〝領域〟があるからだと思うんです。
やっぱりね、最近は、
認められたい人に認め
愛されること以上の支えなんてない
って心から思います。
幸せな状態や、幸せの定義というのは、
人それぞれだと思うんですが、
幸せな人は自分の人生に心から満足している
ことは間違いない共通点だと思います。
自分の人生に一生懸命、生きている人は、
他人のSNSを見ても、嫉妬しないし、
劣等感も感じません。
だいたいSNSなんて
本音や等身大とは表向きばかりで
世間からこう見られたい!という欲望を
発信しているだけですから。
・計算しつくされた勝負角度でのセルフィー
・ベッドの上にマグカップという謎の状況
・無理矢理感がすごいアゲアゲなパーティ
こんな投稿を見かける度に、
(暇なんやな)と思っちゃいます。
楽しそうな写真をあげてるけど
(日常は楽しくないんやろうな)
と思っちゃいます。
だってほんまに楽しい瞬間って、いちいち
写真撮ってる場合じゃなくないですか?
だれかに語れる人生にしたくないですか?
俺がボーッとしてた時の話したろか?って
誰も興奮しないよね(笑)
20代、30代、何してたんですか?
「SNSの写真、撮りまくってたよ」
って、充実してる人ではなさそうですよね。
人に影響を与えたかったら、
その人を超える人生観が必要不可欠です。
あなたにしか語れない物語を
「人生」っていいます。
自分のレベルが上がれば上がるほど
共感されることは少なくなります。
だって、マイノリティ(少数派)なんだもん。
だから、マジョリティ(多数派)の賞賛や
理解なんて求めていない。
メダリストや経営者、校長先生などは
コチラの領域なんてぶっちゃけ、
わかるわけがないとすら
思っていると思いますよ。
でも、だからこそ・・・
みんなとはシェアできない言葉があって
100を超える「いいね」より、
たった1人の「いいね」が欲しい時があって
認められたい人に認め
愛されること以上の支えなんてない
って思います。
ぼくももっとレベルが高い領域にいって
そのゾーンの人たちにしかわからない
価値観や感動に触れて太陽みたいに
人を照らせる男でありたいです。
だから今日も寝るまで努力するぞ~
よっしゃー(^O^)/
END