今日は、いや…いつもぼくのブログでは、
幸せに生きるためのヒントを書いている。
いわゆる「正解」はどこにもない。
ガイドを望む人には物足りないかもしれない。
でも、自分の足で歩く気がある人には
いいきっかけになっていると思う。
大多数(マジョリティ)は
幸せになる選択ではなく
不幸にならない選択をする。
当たり前だけど幸せになりたいなら
不幸にならない選択ではなく、
幸せになる選択をしないといけない。
幸せな人は自分主体で生きている人。
経営者だったり、組織をマネジメントする
マネージャーだったり、チームを引っ張る
立場にいる人やなりたい人は、いわゆる、
自分主体で生きている割合が高いと思う。
自分主体で幸せに生きるには
マジョリティ(大多数)と違う視座でいること。
そして、マイノリティ(少数派)を貫く強さが
必要だと思っている。
ただ、一方で、誰よりマジョリティの心理を
理解していなきゃいけないんだよね。
寄り添えなきゃいけない。
この行ったり来たりを繰り返すうちに、
そもそも「自分」とは?とよく迷子になる。
だからこそ、同じ迷路に挑み続ける心から
信頼できるメンターの存在や、
プライベートでの安心安全は必須。
それこそが位置情報だったりするから。
個性があることは素晴らしいことだけど
一方で、個性を持つほどに共感されることや
理解してもらえることは極端に減る。
だって、マイノリティ(少数派)だから。
でもね、理解してくれなくてもいいの。
それぞれ違う人間だからそもそも
理解するなんてできてないことがほとんど。
オレも理解されたこと、
理解されなかったこと、たくさんある。
厳しいことを言うと
嫌な顔をして離れていく人が増えた。
そんな人は何も言わずに
優しいだけの人のところに
集まる
居心地がいいのか楽しそう。
別にそれはそれでいいと思う。
厳しさに向かってくる人が
減ってしまったのは寂しいけど
数少ない、厳しさに向かってくる人は
どんどん成長していくから頼もしい。
ぼくたちは、誰もが、いろんな人に
支えられて生きている。
それを忘れた人には大きなしっぺ返しがある。
自分を俯瞰してみると、
たくさん与えられている。
自信だったり、勇気だったり、知識だったり、
場所だったり、機会だったり・・・
そして、手土産1つとっても
「何を貰ったか」よりも
「どんな気持ちでくれたのか」
それを理解しなきゃいけない。
感情的に叱るのはダメだけど
感情を込めて叱るべき時はあると思っている。
(人の想いを踏みにじったとき など)
だから、先日も一緒にお仕事をしている
メンバーを叱った。
正しい人が傷つく
優しい人が我慢する
いつも優しい人が
自分を責めて泣いていて、
優しくない人が開き直って笑っている
オレはそれが許せない。
オレはそんな世の中をぶち壊したいし、
そんな人はオレの近くに居てほしくない。
オレは恩返ししない自分だけは許せない。
この「恩返ししない自分だけは許せない」
という価値観を持っていない人は、
どれだけ高学歴で勉強ができても
オレに近寄れないと思う。
自分のためにしか頑張れない人に
オレは魅力を感じない。
人が強くなるときというのは
決まって誰かのためなんだよね。
生きがいは他人に役立つ喜びの中にある
と思っている。
だから「相手が困っている。。。」
そんな時こそ相手の想像を超えてやる!
って、いつも思っている。
「その人が辛いときこそ恩返しをしよう」
っていうのが、自分との合言葉。
ぼくは今日も人のお役に立つことに
この命を使います。
END