
昨日、同じ人の本を5冊、読みました。
ぼくは、その人を知りたいと思ったら
基本的には1冊だけでなく複数冊読みます。
今、すごく研究しているジャンルの人がいて
その一人だったので、読んでみたんですが、
納得できる内容がありました。
いくつかあった中で特に印象に残っているのは
『「感謝」を教えること』でした。
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ぼくは学生時代なら野球部のキャプテンとして
感謝することに関しては「うるさかった」
と思います。
社会人になると、部下の教育や、
後輩の相談を乗るときも・・・
感謝することに関しては「うるさい」と思います。
それを「素敵」だと褒めてくれる人もいたし、
感謝を大事にすることは一人の人間として
ぼくは大事にしたい生き方だったから
自分でも誇れる生き方だと思っていました。
だけど、ある時から、
「感謝を強要してしまっていないか?」
「感謝って教えることなのか?」と思ったり、
感謝できない人にイライラしてしまったり…
だけど、大事だと思うから、
身の回りのことを洗い出して、
「ほら?当たり前じゃないだろ?」と
「感謝しなさい!」と教育するものの、
それがやっぱり
「感謝を強要してしまっていないか?」
と思ったり、感謝って、したくてするから、
感謝の心がない人に「感謝しなさい」は
違うよな~って、、、
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自分が大事にしたいことだったらからこそ
余計に、『「感謝」を教えること』が
周りの人の幸せに繋がっているのか?
わからなくなった時がありました。
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だけど、自分が目指すような生き方をする
先人の方を研究すればするほど、
やっぱり感謝することに関しては
「うるさい」し、当たり前だと思うことや
不誠実な態度には厳しく
『「感謝」を教えること』を
徹底しているように思います。
だから、昨日、読書をしていて
(おれ…間違ってない…)と少し
救われた感覚にもなりました。
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そして、昨日、読んだ本の中にも、
「知覧特攻平和会館」に行くべきだ、
みたいなことが書かれていました。
ぼくも、去年の11月に鹿児島県にある
「知覧特攻平和会館」を訪れました。
10代の少年が、自ら命を絶つために
操縦したゼ口戦や、特攻前日に両親
向けて書いた遺書を拝見しました。
全て毛筆で書かれ、
特に印象的だったのは、遺書の多くは、
両親(特にお母さん)への
延々と述べられていたこと。
死を怖がって書かれたも
一つもありませんでした…
終戦から70年以上が経ちましたが、
ぼくたちは今の平和に辿り着くまで
一番大切なものを失ってきたと改めて
認識できた時間でした。
その失ってきたものこそが「感謝の心」です。
まぁ、失ったというか、
忘れているんだと思います。
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無我夢中になって努力しているとき、
困難に耐え苦しんでいるとき
道が途絶えて迷っているとき、
人間不信になって途方に暮れているとき…
温かい手を差し伸べ、
そんな大切な人のことを
誰の力も借りず、自分一人で生きてきた人は
この世に存在しません。
生まれたときから誰かのお世話になっていて
今も、お世話になりながらも、
そんな毎日の
錯覚してしまっている人が多いんだよね。
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真剣に「ありがとう」を言わない人は
残念ながら、その言葉が、
自分に返ってくることはありません。
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多くの人が、今、「当たり前〝病〟」に
感染されているように思います。
医者や看護師は診てくれて当たり前?
学校の先生は教えるのが当たり前?
上司は面倒を見てくれて当たり前?
親が家事をしてくれて当たり前?
妻が料理をして当たり前?
お店は丁寧な接客が当たり前?
自分の話は聞いてもらって当たり前?
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他人に厳しい人が多いよね。
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電車だって、時間通りに来て
当たり前ですか?
あれだけの人数を乗せているのに
1分も遅れずに来ることの方が奇跡ですよ?
そんな風に当たり前と思っているから
モンスターなんとかや、クレーマーが
生まれるんだと思います。
たまに、1,000円前後のランチの店で
文句を言っている人がいますが、
提供スピードや接客、サービスに
文句があるなら、高級ホテルに行けよ
って、話ですよね。
「LCCは接客が悪い」って言うなら
お金出して、ファーストクラスに
乗れよ!って話ですよね。
大して、お金も出さないのに
過剰な要求をする「当たり前〝病〟」に
かかっている人があまりにも
多いように感じます。
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感謝の気持ちが大事ってことは
みんな、知っていますよね?
では、聞きます。
感謝できていますか?
ぼくが知覧に行ったときのブログも
また読んでみてね~
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