
人を許せないって、きっと多くの人が、
人生のどこかで向き合う悩みですよね。
信頼していた人に裏切られたとき。
大切にしていた人に傷つけられたとき。
自分ばかりが相手を思いやっていると感じたとき。
「なんで、あんなことができるんだろう」
「なんで、自分だけが
・苦しまなきゃいけないんだろう」
そう思うのは、自然なことだと思います。
そして、難しいのは、
「相手を許したい気持ち」と、
「どうしても許せない気持ち」が、
同時に存在することなんですよね。
先日、読んだ小説家のコラムに
こんなことが書いてありました。
90にもなって、人に相談しなきゃならない
悩みがあったら、恥ずかしいじゃない(笑)
私のところにはたくさん相談が寄せられます。
相談にしろ手紙にしろ、そこで気づくのは
「(他人が)許せない」という気持ちに
苦しんでいる人が多いということ。
そもそも許す前に、自分が許されて
生きていることを感じるべきです。
私たち自身が許されて、
今を生きているわけですから。
嘘をついたり意地悪をしたり
人を傷つけたり、動物を殺して食べている
私たちがしゃあしゃあと生きていられるのは
許してくれているものがあるから。
そのことに感謝したら、人に対して、
「許せない」なんて厳しいことは
言えなくなります。
繰り返し思い出してしまいます。
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時には、怒りで震えそうになり、
時には悲しみで泣きたくなります。
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でも、何度それを繰り返したところで、
過去の状況は変わることはありません。
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過去に執着してると未来を見失います。
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つまり、相手にずっと
支配されていることになるってことです。
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なぜなら、相手は変わらないし
相手はなんとも思っていないからです。
相手を許さなければ、
相手が困るように感じるかもしれません。
恨み続けることが、自分にできる
最後の抵抗のように思えることもあります。
でも、あなたが夜眠れずにいても、
相手は眠っているかもしれません。
あなたが食事中に思い出しても、
相手は楽しく食事をしているかもしれません。
あなたが何年も怒りを抱えていても、
相手は何も知らずに暮らしているかもしれません。
恨みを握り続けることは、
相手への罰にはならないんです。
むしろ、相手がいない場所でも、
その人にあなたの時間と心を
差し出し続けることになります。
過去に一度傷つけた人へ、
今日の自分まで渡す必要はありません。
信頼を裏切った人を、
もう一度信じる必要はありません。
暴力や嫌がらせを受けた場所へ、
戻る必要もありません。
謝罪も反省もない相手と、
以前と同じように付き合う必要もありません。
相手を許せないままでも、
前へ進むことはできます。
「まだ許せない」と正直に認めながら、
「それでも、この人のために
今日を失うのは終わりにしよう」
と決めることはできます。
怨まないとは、相手のしたことを
肯定することではありません。
相手のしたことによって、
これからの自分まで壊されないと決めることです。
許せない相手を許すのは凄い勇気です。
自分にひどいことをした人を
許すのは凄い勇気です。
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自分の価値観という法律の中では
極悪人の犯罪者です。
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その人を無罪にするくらいの勇気です。
でも、その「勇気」を出すことは
大きな人生の決断です。
自分が幸せになるためのね。
/
自分が幸せになるために
相手を許した方がいいです!
忘れるのではなく、智慧に変えましょう。
つらい経験を、無理に忘れようとしなくても
構いません。忘れられない出来事もあります。
けれども、その記憶の使い方は変えられます。
「あの人に傷つけられた」という記憶を、
「自分は、こういう扱いに傷つくのだと分かった」
「次からは、もっと早く意思を伝えよう」
「同じように苦しんでいる人の話を
・軽く扱わないようにしよう」
「信頼できない相手とは、適切な距離を取ろう」
という智慧へ変えることができます。
記憶を消すのではありません。
記憶に、新しい役割を与えるんです。
恨みとして抱えれば、
その出来事はあなたを縛ります。
智慧として受け取れば、
その出来事はこれからのあなたを守ります。
ぼくは、自分が受けた痛みを、
誰かに渡さない人でありたいです。
だから、「怒り」はもちろん、
「孤独」「悲観」「苦悩」「絶望」も
しっかり向き合って、智慧に変えていきます。
許せない人がいる、っていう人。
自分が幸せになるために
相手を許しましょう。
笑顔にならない時間がもったいないですよ。
あと・・・
いつ死ぬかわからないから、
人にやさしくしておきましょうね。
恨みながら死んだら、あなたの顔、
ブスな顔のままになりますよ。
END










