
「艱難辛苦(かんなんしんく)」
という言葉があります。
漢字を見ただけで「うわ、大変そう……」
って思いますよね(笑)
困難な状況に苦しみ悩むことを指しますが、
過去に自分が成長したときって、
一体、どんな時でしたか?
ラクなときですか?
楽しいときですか?
ぼくは、苦しくて、辛くて、
現状を変えたくて、
もがいていた時でした。
例外なく。
みなさんも、そうだと思います。
まさに「艱難辛苦(かんなんしんく)」を
乗り越えたときに成長があったはずです。
ぶっちゃけ、その渦中にいるときは
「いいもの」なんて到底思えないし、
逃げ出したいのが普通です。
でも、あえて「それはいいものだよ」
厳しい(やさしい)大人が言うのには、
ちゃんと理由があるんだよね。
その秘密を紐解いて説明します。
①心の「筋トレ」になるから
筋トレって、筋肉に負荷をかけて
一度壊すことで、前より強い筋肉を
作りますよね。心も全く同じです。
何も起きない日々…
楽だけど、心はそのまま。
苦労がある日々…
乗り越えるたびに「これくらい大丈夫」
という心の強度が上がっていく。
人生の筋肉痛を味わうと、
そんじょそこらの人には敵わない輝きが出ます。
②「自分のトリセツ」が手に入るから
絶好調の時には自分の本当の姿は見えてきません。
すごく苦しい時にこそ、
「自分は意外とここで踏ん張れるんだ」
「自分はこういう時に弱音を吐きたくなるんだ」
という「本当の自分」が見えてきます。
自分をどう扱えばいいか…
トリセツがわかるのは、
苦労した時だけのご褒美です。
③人に優しくなれる「魔法のスパイス」
一度も転んだことがない人は、
転んで泣いている人の痛みが
本当の意味ではわかりません。
苦労を経験すると、同じように、
苦しんでいる友達を見たときに
「あ、あいつ今マジできつい時期だな」
と気づいて、そっと寄り添えるようになります。
この「共感力」は、勉強ができることよりも
ずっと、一生の宝物になります。
「自分主体でやってみること」
「自分でリスクを負うこと」
こういう経験が成長を加速させます。
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どんなことにおいても・・・
「あの判断、失敗だったよね」と後づけで
文句言うのは超簡単。小学生でもできます。
一方で、
リスクをとり、重い意思決定をすることは
とても難しいものです。
非難の集中砲火を浴びることもあります。
でも、ぼくは「判断が正しかったかどうか」より
大きな責任を自分で負う覚悟があったか、
その姿勢を正しく評価したいと思っています。
だから、失敗して怒ったことはありません。
だから、失敗して責めたこともありません。
「勉強になった?いい経験になったやろ?笑」
と笑いながら言っているだけです。
非難の集中砲火を浴びるのも
人の気持ちを理解する上で
必要な経験だと思っています。
その経験をしたことある人とない人とでは、
大きな違いで、これからの人生に
とんでもない差がつくんですよね。
傷ついたことがある人は
他人を傷つけません。
でも、傷ついたことない人は
他人を無意識に平気で傷つけています。
もちろん、非難の集中砲火を
浴びることが初めての人にとっては
辛いことかもしれません。
その辛いとわかっていることなのに、
経験させようとするのは、
自分だけは絶対に裏切らない!寄り添う!
と決断しているからです。
孤独にさせない自信があるからです。
だから、「やってみなよ!」って、
言い切れます。
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9割の人は人生の筋肉痛が嫌だから、
自分が傷つかないように
歩きやすいコンクリートを選びます。
でも、成長する魅力的な人は
自分で自分に負荷をかけて
率先して、砂浜を歩く人です。
砂浜はコンクリートよりも
はるかに歩きにくいです。
でも、足跡が残るのはどっちですか?
大変な道ほど頑張った過程は
誰かに見てもらえるし、自信になります。
オレ、やってきたもん!って言えますか?
わたし、やってきたもん!って言えますか?
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自分に対する自信がある人は
一生、楽しめると思います。
でも、人生の筋肉痛から逃げて
自分に自信が持てていない人は
ずーーーっと、楽しくないと思います。
自分が好きじゃないから。
それは本人が一番わかっていると思います。
自分に自信が持ちたかったり、
人としての器を広げたい人は
人生の筋肉痛を自分から経験しにいってください。
本来、それが必要なことはわかっているはず。
それを避けて生きているから
いつまでも自分らしく生きれないんです。
「自信」って、自分を信じると書きます。
自分を信じるにはそれなりの努力は必要ですよ。
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今年残り323日!
よーし、今日も寝るまで努力するぜ!
よっしゃー(^O^)/
END










